本年度は、研究完成年度となることを考え、55年体制形成期の政党政治における一側面に焦点を絞り、新たな視点の設定を試みた。具体的には1952年に制定された企業合理化促進法に結実した産業合理化構想を取り上げることで、次に示すような新たな知見を得たと考える。企業合理化促進法は、戦後の産業政策の典型的事例として既に経済史の分野で注目されてきた。その際、主として法案作成過程における政府と企業との関係がテーマとなったことに対し、本研究では「政府」の果たした役割について、さらに立ち入った検討を加えている。つまり「政府」が主として官僚機構における原局体制として把握され、原局と業界との間の相互依存関係をもって「政府・企業間関係」とされてきたことに対し、本研究では「政府」を官僚・政党・内閣のそれぞれのレベルで把握しようと努めた。 産業合理化政策は、早くも第1次吉田内閣期から構想され始め、社会党連立内閣である片山・芦田内閣を経て高度成長期までの長期にわたり検討されてきた。この時期を通して明らかになるのは次のような構想の変遷である。つまり第1次吉田内閣期から片山・芦田内閣期には、経済復興における産業構造のあり方について主として農業民主化及び軽工業中心の輸出振興が強調された。これは第2次吉田内閣期以後次第に重化学工業中心の産業構造への転換を図りつつ変容することになる。この過程で注目すべきは業界による政党政治へ期待と官僚統制に対する強い反発である。この事実を踏まえて今後さらなる検討を加えつつ55年体制に結実した政党政治が何であったのかを示したい。
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