本年度の研究によってまず確認されたのは、19世紀初頭のイギリスにおいて貧困救済について3つの基本的な立場があったことである。すなわち、第1は貧困労働者の生存権を認め公的な救済(救貧法)の必要を主張する立場であり、第2は公的な救済がかえって貧困を増加するとみて救貧法を廃止することを主張する立場であり、第3は公的な貧困救済の必要は認めるがその効率的で制限的な運用を主張する立場である。第1の立場を体系的に理論化したのはW.ペイリーであり、第2の立場を代表するのはT.R.マルサスであり、第3の立場の基礎を与えたのはJ.ベンサムであった。本年度は第2の立場を代表するマルサスの救貧法廃止論の影響を主として検討した。その中で特に注目したのは、古典派経済学を理論的に完成したD.リカードウに対する影響である。リカードウが公刊した文献にかぎれば、救貧法について論じている程度であり、貧困問題に余り関心を持っていなかったように見える。公表したものは少ないものの、リカードウがじつはマルサスに劣らず貧困問題に関心を持ち、取り組んでいたことがわかった。例えば、リカードウは労働者階級が不慮の事態に備えかつ貯蓄心を形成するのに役立つように考えられた貯蓄銀行の設立・運営に携わり、そのあり方についてリカードウは書簡においてかなり詳しい議論をしており、また労働者階級の子弟の教育にも関心を持ち、自ら私財を投じ初等教育学校を設立し運営した。今後は第1の救貧法擁護の立場の議論と第3の貧困救済の効率化を主張する立場の議論(特にベンサムの救貧論)をより詳しく研究し、さらにJ.ミル、マカロック、トレンズ、シーニア、J.S.ミル等、マルサス、リカードウ以後の古典派経済学者の貧困問題に関する考え方と政策論を検討する予定である。
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