本年度は昨年に引続き、18世紀末から19世紀初頭のイギリスにおける救貧思想を検討した。本年度とくに重点をおいて研究したのは、マルサスの救貧法廃止論の現実政策への影響と、マルサスの経済学上の論争相手であったリカードウの救貧論である。19世紀初頭にはマルサスの救貧法廃止論が大きな影響を持ったのであるが、まずその影響の現実政策への影響の具体例として、1817年の下院救貧法特別委員会報告を検討した。その報告はマルサスの救貧法廃止論の影響を強く受け、救貧法の廃止の方向で、救貧支出・救貧税を減少させる諸措置の勧告を行った。その勧告は、委員長であったスタージス・ボーンによる救貧法改革、すなわち1818年の教区会法、1819年の特別教区会法につながった。リカードウの救貧論については、貯蓄銀行との関連で検討した。貯蓄銀行は、1810年代に、労働者の生活向上と救貧税の節減のために名地で設立され、1817年には貯蓄銀行を保護するロウズ法が制定された。リカードウは、救貧法廃止論をとる点でマルサスの影響を受けているといえるが、出版されたものでは貧困問題についてはほとんど論じていない。しかしリカードウは、貯蓄銀行の設立と運営には積極的に関わり、友人のトラワとの間の書簡で貯蓄銀行について救貧法との関連でかなり詳しい議論を展開している。リカードウは、貯蓄銀行は労働者の自立を促し、長期的に存続可能なものでなければならないと考えた。彼らの論争の中でとくに問題となったのは、貯蓄銀行の預金者を救費対象から排除しないというロウズ法案の条項であり、トラワがその条項を貯蓄銀行の成功に不可欠とみたのに対して、リカードウはその条項が労働者の自立の妨げになるとしてつよく反対した。またリカードウは、貯蓄銀行が保有する国債をイングランド銀行の国債整理委員会があづかり、確定利子と元本保証しながら、事実上無制限の預金を認めたロウズ法(1817年)に強い危惧を表明した。
|