本研究計画の中で最も重要な位置を占めるのは、マルサスの救貧論とその救貧法論争と現実の救貧政策への影響の研究である.マルサスは、救貧法は貧困の救済を目的としながら現実には貧困をかえって増加させる効果をもったとみて、その廃止を主張する.マルサスによれば、貧困の根本的原因は人口の原理にあり、それを長期的に軽減する唯一の効果的な方法は道徳的抑制の労働者間への普及であった.そして労働者階級の幸福を最もよく増進する経済として、農業と工業が半々程度存在する農工並存経済を提示し、その実現のためにある程度の農業保護政策を擁護した.またマルサスは、その一般的供給過剰の考えによって公共事業への失業者の吸収を貧困の短期的な救済策として提案した.マルサスの救貧法廃止論は救貧政策に大きな影響を持った.これとわせて、マルサスに先立って人口と貧困の問題についてマルサスに近い議論を展開していたJ.タウンゼンドの議論を研究した.リカードウの主たる関心は経済発展にあり貧困問題についてはほとんど書き残していないが、貧困問題にも強い関心を持ち、労働者階級の貧困軽減のために貯蓄銀行の設立と運営に積極的にかかわり、書簡の中で貯蓄銀行との関連で貧困問題についてかなり議論しているので、それを研究した.リカードウはマルサスと同様に救貧法の廃止を主張した.最も影響力のあった救貧法擁護論としてW.ペイリーの議論を取り上げた.ペイリーの著作は長い間大学で教科書として用いられ、社会の支配階階級である地主層に強い影響を与えた.また18世紀末に貧困問題に関心を持ち、効率的な救貧を目指したJ.ベンサムの救貧法改正論についても研究した.ベンサムは救貧法の必要性を認め、大規模なワークハウスを全国に設置し、自立採算を原則とする救貧の実現を目指した.ベンサムの救貧論は1810年代の救貧法廃止論の高まりの中では無視されたが、1834年の新救貧法にはE.チャドウィックを通じて大きな影響を与えた.最後にマルサスやリカードウの救貧法廃止論を批判したコプルストンの議論を検討した.コプルストンは救貧法には貧困を増大させる本来的な傾向はなく、貧困は貨幣価値の低下によって生ずると見て、貨幣価値の低下の影響に対する対抗手段としての救貧法の必要性を主張した.マルサスもリカードウも、コプルストンの批判を深刻に受け止めたのである.
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