オーストラリア・ニュージーランドの両国は、19世紀そして20世紀半ばまでは、1人あたり所得からみて、世界でもっとも富裕な国の一つであった。しかし1970年代以降経済状況は急速に悪化し、80年代末にはOECD加盟国下位グループにまで低下してしまった。このような状況の中で、両国は、程度の差、進行の度合いには違いがあるが、構造改革政策を確実に進めてきた。構造改革は、経済のあらゆる分野、たとえば資本・金融市場、労働市場、農業、製造業、貿易分野、航空産業、電信・電話産業などにおよび、その結果、アジア諸国が危機的状況に陥っている現状にあっても、経済は健全な成長を遂げている。このような経済の構造改革のなかにあって、もっとも影響力の強い分野は労働市場の構造改革であった。本年度の研究は両国における労働市場の改革がどのような考え方に従って進行してきたか、その結果マクロ経済にどのようなパフォーマンスをもたらしたかを主として研究してきた。その研究成果の一部は「アコードの時代の賃金政策-オーストラリア労働党政権の賃金政策-」と言う論文にまとめられた。オーストラリアでは伝統的に賃金の決定は第3者機関である賃金調停・仲裁委員会によって中央集権的に決定されていた。労働党政府はインフレを抑制するための政策として当初この方式を利用するが、80年代後半このやり方が労働生産性の伸びを押さえる役割を果たしている事を認識して、賃金決定を、セーフティネット部分を除き、企業レベルで分権的に決定する事に変えた。この改革は経済に深くおおきな影響をあたえたと考えられる。
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