前年度までの研究から貯蓄金庫と信用協同組合の意義が地域工業化において非常に大きいことがわかってきた。なかでも貯蓄金庫については、それが地域の工業発展と不可分の関係であると考えられる。そこで本年度は貯蓄金庫の発展史(生成期から第二次大戦まで)について集中的に研究し、次のような成果と見通しを得た。 1.貯蓄金庫は18世紀末から19世紀初頭にかけて地方自治体によって貧民救済を目的として設立され、当初から幅広い社会層を預金者として取り込んで、工業化期には金融機関の中で最大の預金量を集中した。しかし、授信業務は主に不動産抵当貸付、自治体貸付、公債買付に限定されて産業へ向かわず、また信用払い取引も行なわれず、19世紀における貯蓄金庫の発展は工業化の進展にプラスに作用しなかった。 2.1908年の帝国小切手法によって貯蓄金庫に振替取引と交互計算業務が認められ、ここから貯蓄金庫は銀行業務を開始して大きく発展し、信用銀行、協同組合と競争関係に入った。インフレ後に再び大量の預金を集めていた貯蓄金庫は、特に20年代後半には信用銀行と激しい対立を展開い、恐慌期の大統領緊急令によって自治体から分離して独立金融機関となり、その資金が自由に金融市場に流れ出ることになった。 3.1934年の金融制度法によって貯蓄金庫は明確に総合銀行として承認されたが、他方でナチ党員が理事会に就任し、また預金量の約半分(1939年)を集中したことによって戦費調達機関に位置付けられて、戦時経済の枢要を担った。この点では、貯蓄銀行が同様の役割を演じた第一次大戦期との比較が興味深い。 今年度は貯蓄銀行史を時代順に研究したが、各時期各地域の論点は金融史全体を見通した上で始めて評価されうるもので、個別論点の論文をこれまで発表できなかった。次年度の総括過程の中で包括的に発表したい。
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