前2年間で個別的に検討してきた西南ドイツの地域金融構造と貯蓄金庫史の研究を踏まえて、当年度では帝政期からワイマール期にいたる金融構造を総括した。その結果、次のような新たな論点と視角を得ることができた。 1.ドイツの金融構造が同地域の産業構造と経済発展のあり方に深く関連していること、及び社会政策的見地から設立された貯蓄金庫が第一次大戦前には重要な金融機関になっていたことから、第一次大戦前のドイツ金融構造については、従来の独占形成の一元的視角だけでなく地域的階層的視角からも把握されるべきである。 2.1907年恐慌とその後の金融諸改革、第一次大戦とインフレによって金融構造は大きく変化した。第一にカルテル体制を形成していたベルリン大銀行は、各地域の地方銀行と個人銀行を吸収合併して支店銀行体制を確立し、第二に貯蓄金庫は1921年までに法改正によって「銀行化」を完了した。20年代には階層性と地域性は徐々に解消した。 3.相対的安定期にベルリン大銀行と貯蓄銀行は、従来の分業的関係から競争関係へと移行し、両者は預金の獲得と信用供与(顧客獲得)をめぐって激しく競争することになった。1931年の金融恐慌時には貯蓄銀行も混乱し、34年信用制度法によって規制を受けることになった。 以上の個別的論点と視角は、いずれも従来の研究史からみれば新しい内容を持っているために、慎重に全体的意味付けを検討してきた。今回の研究成果報告書執筆を通じて構想をまとめ関連研究者の研究会で報告したが、それが一定の評価を得たので、今後報告書の内容を順次、論文と学会報告で公開していくことにしたい。なお、この研究テーマに関してはとくに貯蓄銀行史の課題を残したので、引き続き補助金を申請した。
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