研究概要 |
第一次大戦末期から1920年代初頭のアメリカでかたちを整えるに至る労使関係の新しい調整様式,すなわち「労使関係管理」の生成プロセスについて,その担い手となった一群の管理者たちの思想と行動に即して考察するのが本研究の目的である。今年度の研究で明らかになった点,ならびに今後の研究計画は以下の通りである。 1. 安全運動と呼ばれる事故防止活動に従事していた安全管理者(当時一般に「セイフティ・マン」と呼ばれた)のなかから指導的な労使関係管理者が輩出したことに着目し,その代表者のひとりアーサー・ヤング(Arthur H.Young)について,彼が安全運動と労使関係管理の仕事に接するまでの経緯を論文にまとめた。今後さらにヤングの経歴に即して,安全管理者から労使関係管理者への人的系譜を,インターナショナル・ハーヴェスター社の事例研究のかたちで具体的に考察しようと考えている。 2. 安全委員会活動のなかで発展した労使関係の調整技法と管理思想が,1920年代に大量生産産業で普及した「合同委員会型」従業員代表制に継承されたことを明らかにするのが第二の課題である。合同委員会型従業員代表制はコロラド燃料&製鉄会社で導入されたロックフェラー・プランに最初に具体化されたが,従来の研究によれば,同制度はカナダの労働問題専門家マッケンジー・キングによって考案されたことになっている。だがマコーミック・コレクション(ウィスコンシン州歴史協会蔵)に含まれているインターナショナル・ハーヴェスター社の初代福利担当者ガートルード・ビークス(Gertrude Beeks)文書を検討して解ったことは,キングが制度の起草に際してビークスから得た安全委員会の情報に注目し,それを織り込むかたちで制度を構想した可能性が高いことだ。この経緯を個別企業の事例研究によって具体的にあとづける作業に目下取り組んでいる。
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