研究概要 |
本研究の目的は、第一次大戦末期から1920年代初頭のアメリカ大量生産産業で普及した労使関係管理(industrial relations)プログラムが,いったいどのような経緯で導入されたのかを実証的に解明することによって,近代産業企業における労務政策と組織との関連を理解することである。分析の際には,この新しい管理的調整機能を担うべく自己形成した俸給管理者たちの思想と行動に着目した。とくに労使関係管理者の地位を目指して独自の取り組みを開始した安全管理者(当時「セイフティ・マン」と呼ばれた)たちの労務改革構想の特質を明らかにし,それが大企業の労務政策にいかなる影響を及ぼしたのかを,今年度は,インターナショナル・ハーヴェスター社を事例研究の対象にして考察した。 1.労使関係部は,唯一人の調整者である労使関係管理者に産業改善活動のすべてを統合して総合的な労務政策を実現するための機関であった。雇用主と労働者との利害調整は,労使関係部の最重要の課題ではあったが,労使関係管理者にとっては,本社機能たる同部門の管理下におかれた各事業所の人事管理担当者たち努力の調整と彼らとライン管理者との関係の調整が,その最重要課題を実現するための不可欠の前提として認識されていた。 2.1920年代に普及する労使関係管理プログラムに合同委員会型従業員代表性と委員会型のフォアマン教育があるが,これの起源をたどると,19世紀の末葉以来さまざまに工夫された委員会型管理システムに行き着く。なかでも大きな影響を及ぼしたのは1910年代に産業企業に広く普及した安全委員会である。これらの実験を通じて一貫して追及されていたのは労働者の自発性に訴える新しい能率であったが,労使関係管理者たちは,大量生産体制に求められる能率を維持するには自発的な意欲の発現を一定の限度内にとどめる必要性を感じていた。
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