1997年の中国返還以降、香港は東アジア金融危機の影響を受けて二つの金融上の問題を抱えることになった。第一に、香港ドルが投機攻撃を受け、香港の為替相場制度であるドルリンク制が危機に陥ったことである。この事態は香港金融監督局が介入によってこれを防ぎ危機を脱したが、その後現在に至るまでドルリンク制の維持を巡る論争が続いている。第二に、香港金融市場における邦銀の地位が低下したことである。邦銀は、従来香港において圧倒的な市場シェアを維持していたが、1997年以降急速に業務を再編しつつあり、そのことは国際金融センターとしての香港の地位を揺るがせかねない。 本研究では、後者の点を中心に分析を行った。1990年代初頭には邦銀による香港への進出ラッシュがみられたが、それはおもに地方銀行の進出が中心であった。そして、香港における邦銀の支店は、1995年にピークの46支店を数え、他を圧倒した。しかし、1998年と1999年には地方銀行のみならず、都市銀行、長期信用銀行、信託銀行などの有力銀行が香港から撤退した。その結果、2000年末には香港の邦銀支店は22まで減少した。さらに、香港にとどまった邦銀も、香港における邦銀業務の特徴をなした本邦オフショア市場を介した迂回融資、いわゆるユーロ円インパクトローンを大規模に縮小させた。 こうした邦銀による香港業務縮小の要因は、第一に香港経済がアジア金融危機の打撃を受けて不況に陥ったこと、第二に日本国内の金融危機が邦銀に対して世界的規模での支店の再編と資産圧縮を迫ったことにある。香港の金融システムは、邦銀の情勢如何では香港特別行政区基本法が明言している国際金融センターとしての地位の維持が困難になりかねない状況におかれているといってよい。
|