本研究は、中世社会から近世社会を切り開いた城下町に対し、市場経済社会の実質を担いつつ近世社会から近代社会を切り開いた都市として在方町を目本都市史の中に位置づけるため、近世・近代移行期における在方町の空間=社会の形成過程と存在形態を、近世に形成された均質空間の持続と解体の実相の把握を通して解明し、市場経済社会に適合したストック型の成熟した空間=社会を形成した都市として在方町を捉え得ることを実証しようとするものである。 本研究によって得られた近世・近代移行期における在方町の歴史・空間・景観に関する新たな知見は以下の4点にまとめられる (1)近世在方町の空間=社会は、中世起源の町場を継承しつつ近世初頭に在方町として再編された場合、近世起源の城下町が元和一国一城令に伴って町地のみが在方町に転じた場合、近世初頭における街道整備や港湾整備に伴って町建てされた場合の3通りの過程を辿って成立を見た。 (2)成立過程の如何にかかわらず、近世在方町の空間は道路に沿って間口と奥行きの揃った短冊型の地割が両側に並ぶフラットな構造を呈し、そこに成立した社会もこの空間構成に規定されたフラットな構造を呈し、均一な公共性の展開する空間=社会が成立していたが、市場経済の進展に伴って次第に間口に格差が生じ、格差のある空間=社会が生み出されるに至った。 (3)道路の両側には町家が建ち並んで町並みを形成したが、近世後期以降はこの格差ある空間=社会を背景として、耐久性に優れた土蔵造りの町家が建ち始めた。この土蔵造りの町家は、近在の天然資源と人的資源を潤沢に利用できる経済力、優れた町家建築を造り出す技術力、地域固有の建築を生み出す造形力を背景として登場し、明治期以降は諸階層に広く普及を見せた。 (4)近世・近代移行期における在方町の空間=社会は、近世初頭に形成されたフラットな公共性が展開する空間=社会を基盤として、近世後期には土蔵造りの町家から成るストック型の都市景観が展開する空間=社会を成立せしめ、明治期から大正期にかけて社会・経済・技術・文化の各局面においてトータルな均衡状態を達成し、日本型伝統都市の空間=社会の極相=クライマックス状況をもたらした点において、日本都市史の中に極めて重要な位置を占める。
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