本研究は、日本の住まいが持つ開放性の高い空間的特質を取り上げて、そうした空間の特質がどのようにして獲得されたかを、従来の風土論とは違う立場から研究したものである。日本の古い住まいを見ると、寝殿造・書院造と展開する支配者層の住まいは確かに開放的なつくりになっているが、中世末から近世初頭に建てられた民家は厚い囲われた閉鎖的なつくりになっている。風土の影響をより強く受けるはずの民家の方が閉鎖的であることは、風土とは別の理由で日本住宅が開放的になった可能性を示している。 この研究では開放性・閉鎖性といった空間の性質を、空間のつくり方から考える。そして、内部空間を壁によって囲うものと、壁を用いず建具で囲うものに分け、前者を「壁の空間」後者を「柱の空間」と呼んだ上で、日本の支配者層の住まいが「柱の空間」の建築から発展した結果、開放的なものになったことを明らかにした。すなわち、奈良時代に律令制度とともに日本に伝えられた宮殿建築の中に庭儀の舞台として利用するために、南庭に面して壁・窓・扉を設けない開放的な建築があり、それが儀式とともに貴族住宅にも導入され、そのことによって寝殿造が開放的なものになったことを明らかにした。 さらには、この寝殿造が書院造へ展開していくプロセスを詳しく検討すると同時に、書院造で完成された建具による住まいづくりのシステムが日本の民家にも徐々に取り入れられていき、日本の住まい全体を開放的なものに変えていったことを明確にした。報告書では第1・第2章で「壁の空間」「柱の空間」という概念を考えるに至った経緯を詳しく述べ、第4章で日本住宅史全体をそうした概念で再検討した結果を述べた。
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