明治前期の銀座の状況について、建物一軒ずつまで示す史料は発見できなかったが、明治16年から18年にかけて作成された、東京の商店・事業所を示す銅版画が、『東京名家繁昌図録 初篇』『同 二篇』『東京商工博覧絵 第壱編』『同 第弐編上』『同 第弐編下』『東京盛閣図録』の6冊発行されていることが明らかになり、その収集をおこなった。 銀座の範囲は時代と共に変わっているが、研究の範囲を京橋、芝口橋、数寄屋橋、三原橋といった掘割にかかる橋に囲まれた地域に限定して進めた。一軒ごとの建築を通して都市全体を読んでいくことを考え、商店・事業所を、情報・文化、業務管理、社交娯楽、買い回り品販売、生活関連、飲食食品の6つの機能に分類し、その分布を同年代に作成された地図におとし、都市・銀座の様子を分析すると同時に、その店舗形式についても調べた。 分析にあたっては、隣接する日本橋地区と比較することによって、銀座の特性を明らかにすることを試みた。その結果、日本橋地区には問屋が多くあったのに対して、銀座には少なく、それに対して、洋物や舶来品を取り扱う商店・事業所が多くあった。また建築形式も、銀座には商品を店先に陳列して販売する新しい店舗が多くあったことがわかった。 銀座の都市構成としては、明治10年代後半には、商業や事業に有利な場所がまだ面的に成長しておらず、中央通りを中心にして線的に展開し、その賑わいも新橋側より京橋側の方が高いと考えられた。また、社交娯楽機能の商店・事業所については船宿が多くみられたが、中央通りおよび京橋側を賑わいの中心と考えると、そこから離れた周辺部に点在していることも明らかになった。
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