本研究は、東京都中央区の「銀座」を対象にして、そこに設立された商店・事業所の建築機能の分布を明らかにして、日本を代表する繁華街・銀座の都市的特性を考えている。 銀座の名前をもつ町の範囲は時代によって変化しているが、ここでは、その範囲を京橋、芝口橋、数寄屋橋、三原橋といった、掘割にかかる橋に囲まれた地域に限定している。時代的には、明治10年代後半、明治35年、関東大震災前の大正10年頃、昭和10年という、日本の近代化過程や、震災、戦災といった、銀座が大きく変わった4つの時代について調べている。調査の方法は、一軒ごとの商店・事業所について建築機能を明らかにし、情報文化機能、業務管理機能、社交娯楽機能、買い回り品販売機能、生活関連機能、飲食食品機能の6つに分類し、さらにその機能を14の施設などに分類し、地図の上にその位置をおとしていくことで、銀座が、それぞれの時代にどのような特性を持っていたか、さらに時代と共に、その特性をどのように変化させていったかについて考えている。その結果、銀座が時代と共に大きく成長していく過程で、近隣の人々から広域的な人々を相手にする商店街に変化していった点や、都市が変化していく過程で、前の時代の痕跡を引き継いでいることなどが指摘できた。 用いた資料は時代によって異なるが、それぞれの時代につくられた、銅版画や広域的な地図、住宅地図、写真、職業別電話帳、紳士録などを用いている。
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