研究課題/領域番号 |
10650638
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研究機関 | 女子美術大学 |
研究代表者 |
勝又 俊雄 女子美術大学, 芸術学部, 教授 (70224475)
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研究分担者 |
伊藤 重剛 熊本大学, 工学部, 助教授 (50159878)
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キーワード | ギリシア近代建築 / 歴史主義建築 / リヴァイヴァル様式 / ネオ・ビザンティン様式 / クリスティアン・ハンセン / W.フォン・ヴァイレル / L.カフタンゾーグル / テオフィルス・ハンセン |
研究概要 |
平成11年度には本研究の五点の目的のうち残りの二点を達成する。まず、(研究目的4)を達成するために、文献でネオ・ビザンティン様式の実用建築であることを確認したトリエステに一部現存する「造船所」を除いて、ハンセン兄のコペンハーゲンでのネオ・ビザンティン様式の7点の建築の実地調査を行なった。その中で「市立病院」(1859-63年)、「コペンハーゲン大学附属天文台」(1859-61年)そして「聖ヨセフ養護老人施設」(1873-75年)の3点の建築にネオ・ビザンティン様式の建築意匠が使用されていることが判明した。しかもいずれの場合にもゴシック建築の意匠との折衷であることが明らかになった。これは、1840年頃にひとつの建築に複数の建築様式を用いる二元論的な折衷様式が顕著になったことと一致している。 一方、弟テオフィルスがネオ・ビザンティン様式の建築意匠を用いた建築は、「アルセナール」(1849-56年)、「軍事史博物館」(1849-56年)、「福音書記者墓地附属聖堂」(1857-58年)、「同上関連施設」(同上)、「ギリシア正教会聖三位一体聖堂」(1858-61年)そしてレンベルクの「傷病兵病院」(1854-59年)の6点を数える。レンベルクの傷病兵病院を除く、他の5点の建築を対象に調査を行なった。その結果、いずれの建築も主にゴシック建築の意匠そしてその他の建築の意匠を基幹あるいは副次の違いはあれ併用し、上述の折衷様式を備えることが判明した。従って、ギリシア外の西欧ではビザンティン様式が決して一般的とはならなず、採用された場合でも必ずゴシック建築を主とする他の様式の意匠と共に併用され、折衷様式を形成することが明らかになった。 第二に、(研究目的5)に関しては、文献調査の結果、ロシア正教の諸聖堂を除けば、我が国へはネオ・ビザンティン様式は導入されなかったことが明らかになった。
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