本研究は、中世段階に宗教都市として大きく発展した伊勢国宇治山田を主な対象として現存する都市遺構と文献史料によって復原的分析を行い、中近世移行期の都市空間の成立・変容過程について考察したものである。分析の観点として注目したのは、都市共同体を組織し都市建設の主体となった御師集団の居住形態であり、御師屋敷の空間構成と都市空間との関係性について検討を加えている。また同様に御師町を構成した山梨県の上吉田・河口など、他の宗教都市についても比較検討を行っている。 御師屋敷の空間構成については、前屋敷をもつ引込路型の御師屋敷群によって構成される中世的な集住形態から、接道型の御師屋敷が街道の両側に並列的に配置され両側町を構成する近世的な集住形態へと移行する過程が解明された。 また、前屋敷を構成する町家型を主とした零細御師の集住形態が具体的に復原することで、零細御師の主家-家来関係などの点から、近世において町共同体を越えた広域的な御師集団のネットワークが形成されたいることが明らかとなった。 以上から、宇治山田においては、中世郷村から自然形成的に生成された独立性の高い集落群(郷)が連結されることで、中世末には都市の居住領域を濠・木戸門などの構によって明確に区画した中世都市空間としての発達をみせること。そうした中世的達成を前提として、近世初までに中世末の有力御師家を核とした同心円的な空間領域が再統合されることで、表と裏で階層的な住み分けが計られた街道沿いの両側町を基本単位とする並列的な都市空間構造が成立することが判明した。中近世移行期の都市空間構造のもっとも大きな変化はこの点に求められると言える。
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