整然とした古代寺院の七堂伽藍内の金堂は別にして、金堂・本堂と呼称される建物には、平安時代以降、特に中世において大別して本格的な密教寺院本堂と邸宅風な本堂の二種類の形態が存在している。そのうち、邸宅風本堂の系譜は異質・複雑で遺構も少なく、平面形態や空間構成も多様で不明な点が多い。 本研究では近世の邸宅風本堂を調査・比較検討し、整理したなかから問題点を引き出し、これまで本堂とは別の性格をもつ建物と考えられていた方丈・書院の遺構も加え、内仏や仏壇の有無の観点から検討した。臨済宗塔頭方丈は邸宅風な本堂として著名で、室町時代の遺構を有するが、その祖型については明確ではない。 天台宗や真言宗では平安時代、皇族・貴族の子弟が入寺して寝殿造や主殿の形式を子院に持ち込んだと考えられているが、主殿の建物が寺院において内仏や仏壇を設けながら変質する過程が認められた。もはやここでは寝殿造の様相をとどめるものはない。ここでは整形六間取りの禅宗寺院塔頭方丈の強い影響を受けた事は考えられなかった。 強い影響をうけたのは室町時代末期から近世初頭にかけて僧侶養成のために浄土宗や日蓮宗で設立した檀林で、その中心堂宇は大規模な建物で講堂・法堂・方丈とよばれたが、恐らく大寺の本坊方丈の形式が流用されたものと推定される。 室町時代の時宗・浄土宗本堂は邸宅風といっても、近世の方丈型本堂とは異なり、密教寺院の本堂を簡略にしたものであったが、脇陣を脇の間化したことは重要で、これは一層、近世では主張され、その結果、塔頭方丈六間取り平面を流用することになったものと考えられる。 曹洞宗本堂は、禅宗様仏殿の形態とは異なる客殿風・方丈風の本堂を造立したことが知られ、それは臨済宗塔頭方丈の影響をうけながら、室町時代後期には奥行の深い内陣をもつ八間取りの平面として成立していたものとみられる。
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