研究概要 |
本年度は昨年にひきつづき,王立パリ科学アカデミーの懸賞の中でも主にルイエ・ド・メスレーの遺産を利用した基金によってはじめられたメスレー懸賞について分析を続けた.本年度に到着したパリの科学アカデミー古文書館所蔵の当時の史料などより新たに次のようなことが明らかになった. 1)メスレー懸賞は東京大学教養学部図書館が所蔵するPrix de l' Academie des Sceinces全9巻に掲載されている以上の期間存続していたということである.実にこの懸賞は少なくともフランス革命の最中,それもテルミドール9日後の1795年まで計画されていたのである.現実のアカデミーは1793年に廃止されたが、ここからわかるのは,当時のアカデミー幹部であったラヴワジェらが本当に最後まで希望を失わずにアカデミーの存続に奔放していたということである.結局行われなかった最後の2年分がどのように計画されて挫折したかは来年度に調査する予定である. 2)メスレー懸賞にはメスレーの遺志が非常に強く反映されている.特に1750年まで,つまり18世紀前半にその傾向が強い.この懸賞の2本の柱である航海術と天文学を中心にした自然学のうち,航海術に関しては最後までメスレーの意志を貫徹しているといってよい.ただし,これは裏を返せば、メスレーが死んだ18世紀の前半からこの懸賞が終わる18世紀の末まで,経度問題その他の航海上の科学的及び技術的問題が解決されなかったことの証明でもある.反対に,自然学の方はメスレーが予想もしなかったような明らかな変化が見られる.内容が専門化してゆき,高度な数学を理解できない人間には絶対に応募できないものへと変化したことが判明した.
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