平成11年度は前年度に引き続き、研究の素材の入手を継続すると共に、その分析を行なった。日本の蘭学書を求め、高梁市仲田家旧蔵書、岡山大学医学部図書館旧蔵蘭書、大阪杏雨書屋蔵の古医書などを現地調査した。本年度に調査した仲田家は高梁市の郊外で代々開業医を務めた医師で、その蔵書は17世紀から19世紀までの医書を中心とした400余冊である。それを整理・分析したが、その4割程度が蘭医学書であった。仲田家旧蔵書のうち、19世紀後半の日本で刊行された銅版刷りの西洋医療器具図録について、平成11年度日本医史学会関西支部秋季大会で講演した。 江戸時代後期、すなわち、18・19世紀にはヨーロッパと日本は海路のみで結ばれていた。そのため、ヨーロッパから日本への交通路の中で、オランダ、ポルトガルなどのヨーロッパ文化が、当時影響を及ぼした台湾の台中、淡水、またマカオ、マラッカ、ペナンなどを私費で訪れ、現地におけるヨーロッパゆかりの史跡や史料の検討を日本と比較しながら、行ない、得られた情報の一部を学会で講演し、あるいは論文として発表した。 また1774年に刊行された『解体新書』の原著者であるクルムス、オランダ語版訳者であるディクテンについて、その履歴と背景の研究を行なった。また日本語に翻訳された蘭学医書の中で、最多数の原著者であるウィーン人J.J.E.vonプレンクの履歴と背景についても研究を行ない、日本医師学会で講演と論文の発表を行なった。クルムス、ディクテン、プレンクいずれも、一次史料、文献および著作をもとに調査・研究した。
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