周知のとおり、日本のスポーツ組織は学校を中心に発展してきた。とりわけ、明治の中期に学校運動部が校友会として、学校を代表する存在となったことをきっかけとして、学校へのアイデンティティを強めていくようになる。と同時に、学校からの経済的な援助を受けることによって、学校運動部は学校の権力構造の中に取り込まれることになった。 しかし、単に学校からだけの援助では賄いきれなくなると、卒業生に経済的な援助を求めるようになり、そこにOB会が形成される。さらに、スポーツは身体的な経験が重要な意味を持っているため、指導にあったっては、その種目の経験豊かな人材を投与する必要があり、その意味でOB会から指導者を招聘することになる。このようにして、OB会は学校運動部の運営に関しての経済的・政治的な影響力が強くなり、OB会による学校運動部のコントロールが働くようになった。 また、次第に組織が拡大していき、各種の競技団体が全国組織を形成していくようになると、その組織を運営するために、各学校から代表者を出すことになり、そこに各学校のOBが就任するようになった。そして、各学校のベネフィットをめぐって、スポーツ組織にある種の学閥を形成する結果となっていったのである。 一方、米国においても、いわゆるOB会は存在するが、それはあくまでファンクラブのような存在であり、チームの運営に関して何ら影響力を持つことはない。もちろん、米国においてもスポーツは学校が中心であるが、学校自体が地域との関連を強く持っていて、チーム自体も自立して活動している。したがって、経済的な援助や指導といったチームの経営に関する面では、それぞれの専門家に任されており、OB会が介入する余地はない。 今後は、欧州におけるスポーツ組織のOB会について、調査する予定である。
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