水車動力は、一般に動力革命以降、急速に衰退したとされるが、地域によっては積極的に水車動力の導入を図ったケースも多く、それは蒸気力のような大工場の動力源ではなく、規模の小さな工場、零細工場などで利用された。その技術は、古くから身近にあった揚水や精米・製粉の在来水車の動力を工場用動力に転換したケースが多く、調査の結果、以下の点が明らかになった。 (1)在来型揚水水車を製糸器械の動力として利用 明治中期における長野県諏訪地方の生糸工場の動力として、天竜川に架かる揚水水車(藤車)の回転力を利用し、生糸器械を稼動させたもので産業革命初期の動力源となった。 (2)在来型精米・製粉水車から工業用動力水車への転換利用 工業用に用いられた水車の多くが、精米・製粉水車からの用途転用といえるものである。とくに「粉砕」などに利用された水車が多い。線香用水車、エボナイト粉製造水車、伸線用水車などである。南九州に集中した骨粉肥料用水車や砂糖絞り水車もこの系統といえる。 (3)唐臼から陶土用水車へ 陶石や陶土の粉砕には、古くから唐臼が使用されていたが、江戸後期から明治中期にかけて陶土の需要増加に伴い、水車動力が利用されるようになった。佐賀県有田では泉山の陶石が枯渇すると、天草陶石を使用するようになり、天草陶石の陸揚げ地であった塩田に陶土水車が集中した。 (4)横型洋式タービン水車 洋式タービン水車は、紡績工場や鉱山で使用されたが、在来型の水車とは別の系譜である。
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