「川廻し新田」とは、房総丘陵を特徴づける景観で、穿入曲流した川をトンネルや切通しで短縮し、旧河道を水田化した、江戸時代中期~明治時代初期の新田である。従来、一部地域しか所在が調査されていず、造成される地形についても分類や形態記載が不十分であった。 この調査により以下のことが明らかとなった。 1.地形と古文書の調査により、房総丘陵全域におけるその所在が判明し、450箇所に存在することが分かった。 2.川廻し地形にも、従来の水田開発用タイプの他に、林業用、交通用等いろいろのタイプがあること、また、水田開発用川廻しにより造成される、各種の人工特殊地形を定義し、名称をつけた。 3.特に、従来知られていなかった、人工川廻し地形として、カワカミ段丘・カワシモ段丘があることが分かった。 4.古文書と伝承の調査により、川廻しの開発者について、従来知られていた例は、江戸時代中期のやや大型の川廻しが、村単位の開発であった例のみであったが、今回の調査で、江戸時代後期・明治時代初期になると、川廻し工事は、各村の富農(単独あるいは連名)、あるいは、川沿いの農家(土地所有者)により行われていることが分かった。 5.古文書と伝承の調査により、川廻しの費用、工法、労働力などについて、個々の川廻し工事は、多額の投資と年月を要して行われ、専門的な技術者も存在していたことがわかり、造成にかかった費用や時間、技術者など、開発の内容についても、その大略が判明した。 6.川廻し地形の現地観察と聞取り調査により、川廻し地形を、洪水水位との関連で見ると、洪水水位(5~10年程度)に対応した造成を行うとともに、作業量が最小限になるような造成を行っていることが分かった。具体的には、シンカワ水路を、直線的・U字溝状に作成、水田面の比高・トンネル入口高さを洪水水位を越えるよう設定、トンネル出口の川幅を拡張することで水位を下げる等の工夫がなされている事がわかった。
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