研究概要 |
高田平野西縁・長野県野沢村・三重県員弁郡北勢町において,地形発達史と活断層近傍の考古遺跡の変形を検討し,遺跡を用いた古地震研究の問題点を検討した. 高田平野西縁部においては,少なくとも130±30ka以降に撓曲が累積している.この撓曲帯には縄文自時代以降の遺跡(大塚遺跡)が立地しており,古墳時代以降の遺構には変位は見られない.縄文時代の遺構に関しては,不明である.信濃川中流域では,河成段丘面の絶対年代を明らかにすることができた.本地域では中期更新世以降に形成された河成段丘面が分布している.野沢村周辺では,その北方(十日町付近)や南方(飯山付近)に認められる活断層変位地形は不明瞭である.しかし,縄文時代後期の東原遺跡は,信濃川(千曲川)が形成した低位段丘面上に立地しており,その生活面は東へ最大で10度程度傾斜している.この遺跡の変形は約3kaの断層変位によること,約5.5ka以降には1回の断層活動しかないことが明らかになった.河成段丘面の編年と遺跡の変形から,活断層の活動履歴などを検討する具体的な資料が集積したと考えられる.養老山地西部の北勢-多度撓曲は,その北西端付近において,低位の河成段丘面を変位させている.この段丘面の鉛直変位量は1.5〜1.8mであることが判明したが,その形成年代を明らかにすることはできなかった.この段丘面上には飛鳥時代の上惣作遺跡が立地しているが,その生活面は南西方向に撓曲していること,したがっておよそ6世紀以降に活動したことを明らかにすることができた.このイベントに対応する歴史記録は特定できていない. 考古遺跡は,活断層の最近の活動時期や活断層の存在を知る上で重要な指標となりうる.だだし,周辺の地形発達の中で遺跡の位置づける必要がある.また,発掘担当者の活断層への関心は薄いので,発掘担当者と変動地形学者との共同調査を進める必要がある.
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