日本語において母音の長短は音韻論的に有意味であり、文法的意味論的に大きな役割を果たしている。が、文末における母音の引き伸ばしは通常語の意味を弁別する機能は持たず、他の環境における長さとはその機能を異にする。くだけた表現として日常会話でよく使われる文末の「ノ」について、「平静の平叙文」「平静の疑問文」「不満の平叙文」「非難の疑問文」それぞれの「ノ」及び文全体の音声的特性をとくにF0に着目して分析した。これらよっつの意図、感情がF0パタンに反映されていることが分かった。 また、母音のピッチ、アンプリチュードを研究する際に忘れてはならない現象が、日本語狭母音によく見られる母音の無声化である。母音がその声を失った「くし」「きし」の聞き分けは、前者の[k]は口蓋化しておらず、後者は口蓋化していることによると言われている。日本語の母語とするものは無声化し母音の響きをうしなった語を本当に聞き取ることができるのか、また、どちらも[k]が口蓋化していると考えられる「きっと」「きゅっと」の聞き分けはどのようにしているか実験し、日本人は確かに無声化した母音を知覚していること、また、「きっと」「きゅっと」の聞き分けは[k]の開放の後に来る無声摩擦音の違いによってなされているのだと結論した。
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