1991年以降、長崎県雲仙普賢岳の度重なる火砕流・土石流の発生により、あるいはその後の砂防工事により、被災前に空間的な集合性を保っていた被災住民が、移転・散在することになった。その結果、住民間の社会的関係に変化が生ずるなど、災害が地域社会システムの突発的な変容・再構築の契機となっている。本研究では、この変容の実態を明らかにし、いささかの考察を行うことを目的としている。被災により新たな生活の場へ個別的に移転した、かつての南・北上木場町および南・北千本木町の被災住民を調査対象とし、主にアンケート調査により資料蒐集をおこなった。これら資料の解析により、以下のような結果を得た。被災前後で近所付き合いが変わり、被災後に淡白な近所付き合いになったと考えている人が、66歳以上の年齢層(以下、老年層と呼称)に比べ、40〜65歳年齢層(以下、中年層と呼称)で顕著に多い。また、被災前から近所付き合いしていた人々との付き合いについて、被災後余り付き合わなくなった人が老年層では半数程度であるのに対し、中年層ではさらに高率である。なお何れの年齢層においても、余り付き合わなくなった理由として8割前後の人々が、別々の町内会に別れたためとしている。中年層に比べて老年層は被災前の近所付き合いを維持する傾向が強いが、それでも近所付き合いを規定する要因として、同一町内会員であるか否かの枠組みがあるといえる。被災前に培ってきた近所付き合いは、同一町内会の枠組みが外れると疎遠になる付き合いであった場合が多く、被災により他律的に別の空間的まとまりに組み込まれても、そこにおいて被災前のような近所付き合いを構築するに至っていない。被災者は近所付き合いという面からみる限り、被災により相対的孤立化の傾向にあると言えよう。地域社会の形成・維持にとって町内会の枠組み(空間的纏まり)の重要性が確認できた。
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