本年度は、19世紀後半から20世紀初頭における日独の動向に焦点をあてて、研究をおこなった。まずドイツについて見ると、1840年代に各地(都市)で医師組合ができ始める。そして、1871年のドイツ帝国の成立(ドイツ統一)と呼応するように、1873年には各地の医師会を統合すべく第1回「ドイツ医師会議」(今日も存続)が開催された。しかし、これは文字通り「会議」であり、恒常的な全国組織ではなく、ビスマルクの圧力もあって、医師会は1930年代まで各ラント規模のものに止まった。1880年代に社会保険制度が確立されると、医師会は、医療費支出を抑え、また診療行為のあり方にも介入しようとする保険組合と時に激しく対立することになる。1933年以降のナチス時代には、医師会もまた「グライヒシャルトウング」の対象となり (「帝国医師会」の創設)、その職業団体としての自立性を喪失し、国家機構の内部に組み込まれることになる。一方、日本では、1898年に「大日本医会」の設立を始めとして、強制加入を前提に、強い自治権をもつ医師会を確立しようとの試みが何度かなされたが、いずれもその目標を完全な形では実現できなかった。医師の医師会への強制加入原則が確立されたのは、戦時中の「国民医療法」によってだが、しかし、このとき「大日本医師会」は、ナチスにおける「帝国医師会」と同様に、自立性を喪失した国家の下部組織に変貌している。来年度は、戦中、戦後のドイツならびに日本の医師会が各々、歩んだ道程を詳しく調べる予定だが、ドイツでは戦後、国家機構からの強い自立性と、また強制加入による強い組織的凝集力のある医師会の復活に成功したのに比して、日本の医療プロフェションは今日に至るまで、組織としての自立性、凝集力をそこまで確立するに至っていない、という違いが見られる。
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