1.日本の普通教育としての技術教育は、1989年の中学校学習指導要領改定による技術・家庭科の性別履修指定制の撤廃により制度上実現したと筆者は考えている。本研究は、この技術・家庭科の技術教育の部分(技術科)に着目し、この教科の男女共学必修化の歴史的過程において、高等小学校の手工科と実業科を男女必修とした1926年の高等小学校改革が事実上最初の重要な画期をなすことに注目するとともに、その後も幾多の変転と動揺を経て今日に至った経過について、青年前期の普通教育課程の変容の面から普通教育史上の意義を実証的かつ理論的に解明しようとするものである。 2.(1)本年度は、平成10年度の研究成果にもとづいて、(1)1947年の新制中学校教育制度の誕生の一環としての男女必修の職業科と図画工作科の成立、(2)1958年の中学校教育課程改革の一環としての男女必修の技術・家庭科の成立、という二つの画期を含む1926年以後の時期の事実経過を精査した。本研究ではこれらの画期にかかわる動向のうち、とくに職業科から職業・家庭科への制度改編のプロセスに重要な論点が含まれていると認識し、CI&E文書や「厚沢留次郎文書」(国立教育研究所所蔵)等の新資料を駆使してそのプロセスを分析した。これにより、1951年版職業・家庭科学習指導要領の基本枠組みは、実質的には早くも1949年1月段階でほぼ確定していたことなど、1951年前後までの新制中学校教育課程制度の成立と整備の過程の全体像に関わる新たな重要な知見を学界に提供した。(2)また上記の研究を進める中で、産業教育振興法制の成立・展開・変容の過程を中心とした中学校「産業教育」財政制度に関する分析が、日本の普通教育としての技術教育の成立過程史研究に不可欠な問題領域を形成していることも判明した。この教育財政面の分析は今後の大きな課題である。
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