今年度は研究にかかわる各種データの収集につとめた。まずひろく香港関係の刊行物資料を収集した。特に日本で刊行されている香港関係資料は、そのほとんどが香港返還、香港経済、香港観光に関するものがほとんどで、過去における香港と日本との人的交流を調査・研究したものはほとんど見られなかった。しかし、かつて台湾総督府熱帯産業調査会が刊行した『明治初年における香港日本人』や台湾総督官房調査課が刊行した『香港要覧』、さらに香港日本文化協会が刊行した『港日関係之回顧與前膽』には香港で活動していた日本人の実態が読み取れる記事もいくつか見られた。それらによれば、明治六年に香港に日本領事館が開設され、香港と日本は正式に交流が始まった。しかし、それ以前から日本人の活動があったことは推定できるものの確かな証拠はない。したがって、日本人墓地の墓碑銘に明治六年以前のものが出でくれば、大変貴重な資料となり得る可能性の在ることが判明した。 次に香港大学李研究員の案内で香港墳場を訪問し、同研究員からレクチャーを受けながら日本人墓を調査した。た。それによれば、日本人の墓は、本体は日本風な墓であるが、遺体を安置しているエリアを石で囲む西洋風の部分があり、言わば和洋折衷の墓が多かった。被葬者は、西日本を中心とする各地から渡来したもので、アトランダムに列記すれば、兵庫県神戸市、佐賀県小城、愛媛県北宇和郡、福島県田村郡、和歌山県日高郡、鹿児島県薩摩郡、同鹿児島郡、同鹿児島市、長崎県長崎市、長崎県北高来郡、同南高来郡、福岡県三瀦郡、同久留米市、熊本県天草郡、山口県豊浦郡、滋賀県野洲郡、東京府下荏原郡、長野県上伊那郡などが読み取れた。相対的に女性も多く、男性は軍人、船員が多いように見受けられた。さらに調査を進めたい。
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