今期も、香港大学李研究員の指導を受けながら香港墳場に関する調査を行った。その結果、以下の事柄が判明した。 被葬者の出身は長崎、石川、福岡、東京、佐賀、神奈川、兵庫と西日本が多い。この傾向は前回と同様である。特に石川と佐賀出身者は、それぞれ大聖寺藩、佐賀藩の士族であり、かつ佐賀藩士族は外務書記生で香港領事館に在勤中に死去したものと考えられる。また、東京出身者のは横浜正金銀行が設立していた。被葬者は同銀行員と考えられる。また享年28歳の法学士もいた。法律家として活躍を期待されていたのかもしれない。つまり今期の調査場所は、香港日本人社会でも比較的上層に位置した人々の埋葬場所であったことが理解されよう。要するに東亜同文会の調査報告書によれば、官吏および支店企業の社員とその家族である「上町連」の埋葬地と考えられる。また前回の調査とあわせて注目すべきことは埋葬の実務を行った団体として「日本人慈善会」が圧倒的に多いことである。この団体は「上町連」の加盟が多い「日本人倶楽部」と香港で成長した現地企業の経営者の組織「日本人懇和会」との協議のうえに、日本人の埋葬や日本人小学校の経営にも当たっていた組織であることが判明した。 以上、香港墳場は、香港日本人社会の縮図であることが理解され、さらに収集した墓碑銘や墓石写真の分析を進めて、明治から昭和初期の日本人の諸活動をより一層解明してゆきたいと考えている。
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