京都大学に閲覧を願い、『東大寺文書目録』によりつつ、東大寺文書の写真・影写本を縦覧した。文書出納記録と河上荘の収納帳を中心に史料を収集した。まず「第3部第11文書目録」と「第1部第8大和国河上荘」に目を通し、 「雑荘」 ・ 「雑」 ・ 「未整理」の部類に分散したものについては簡便な目録を新しく作成した。縦覧が完了した部分で写真が必要なものについては東大寺図書館から購入し、史料カードを作成するために翻刻を開始した。また断簡となっている文書出納記録の接続を復原する作業に取りかかり、部分的に復原に成功した。(継続中) なお河上荘については荘園・村落と権門寺院との関係を、中世から近世にかけて継続して研究することができるフィールドであり、史料も十分に残っており、新しい研究の課題となることがわかった。 「未整理部」を縦覧するなかで、奈良国立文化財研究所編『東大寺文書目録』が「某国司免判案」とした断簡に出会った。写真帳による観察によるかぎりでは正文であると思われ、その内容は「/廿一ー八段百八十□[/廿三ー八段百廿ト[/廿六ー九段二百〓ト[/廿八ー一段[/右件庄田依官省□[/也。望請 国裁。任代[/官物。仍注事状以解/長久三年□[/「判 件田見作拾町三[/色之外、寺領玖[/了。在地郡司宜[/段価捌拾歩、同以[/守藤原朝臣「資□」」」 (/は改行を示す)というものである。考証の結果、長久三年の越後国石井荘司解の断簡であることがわかった。免除領田制や越後国石井荘を考える上で貴重な史料であり、現在、史料紹介のための原稿を作成中である。
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