『史学研究』221号(1998年7月)に「陝甘寧辺区の記念日活動と新暦・農暦の時間」を発表した。革命運動と民衆の行動との関係については、従来様々な角度から議論されてきたが、民衆の道徳規範や民族、民間信仰との関わりについては、充分な検討がなされていない。小論は、中国共産党(中共)の根拠地である陝甘寧辺区における、抗日戦争期から延安撤退の時期(1937年7月〜47年3月)までの新暦の浸透政策と民衆の時間である農暦の民俗を利用した大衆動員政策との関わりを分析した。新暦の各記念日は、国内外の政治上の必要性の他に、民衆に中共の指導する革命の意義を浸透させるためにも重視された。新暦の生活リズムも、政治動員の効率上、民間への浸透が求められた。一方、農暦は農業、経済活動、信仰その他の活動の根拠となる民衆自身の生活リズムであり、彼らは、自らの生活規範、慣習に基づいて、ある共通の期待や願望を持って自発的に定められた行動を行う。民衆の自律的な行動と心性を把握して、行動が行われる場所と時間に対して適切な宣伝・動員を行うことができれば、多くの成果を期待できる。中共は、特に42年以降、積極的にこれらの農暦の時間(節句、廟会、集市など)と民間信仰を含む民衆の心性を利用し、政治動員上の一定の成果を上げることができた。一方、新暦を浸透させる方針は、放棄された訳ではなく、中共は民俗形式と農暦の時間を利用して、多くの新暦の記念日活動を組織し、また各種の組織と模範を通じて新暦の意義と生活リズムを貫徹させようとした。民間信仰に関しては、生産増強や政権の権威確立につながるものは利用され、また民衆の心性に訴える宣伝方式や、中共の基層幹部自身が民間信仰に生きる人々であるという状況は、民間信仰の政権への浸透を導くものであった。 小論で得られた知見を基に現在、山西省における、中共、★錫山政権、日本軍の民俗利用政策について検討中であり、これまで発掘されていなかった地方レベルの新聞史料などを収集し近年のけ動向を整理した。研究動向整理の成果の一部は、「回顧と展望 1998年の歴史学界 中国現代」(『史学雑誌』、1999年5月出版予定、108巻5号)に示した。
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