今年度は、一次・二次資料の入手と分析に努める一方で、二つの論文をまとめた。第一に、19世紀半ばのミネソタのスー(ダコタ)族とプロテスタントのダコタ・ミッション(ボストンのアメリカン・ボード派遣)との接触を考察した。当初、ミッションは比較的容易に布教を広めていったが、次第に困難に直面する。特に1851年、1858年の合衆国政府への土地譲渡以後、保留地生活を送るようになったダコタ族は、宣教師や政府役人への抵抗を強め、食料配給の遅延を契機として1862年、近隣の白人移住者600名余りを殺害する蜂起を起こす。この過程で、ダコタ族の中にはキリスト教に改宗して白人文化に適応しようとする者と、自津的な土着文化を維持しようと抵抗を強めていく者との間で分断が生じ、この時期のキリスト教布教活動がインディアンー白人関係形成に重要な位置を占めていたことが明らかになった。 第二に、白人とインディアンの対立関係を念頭におきながらも、双方の文化が複合し、混交していく過程に注目するために、19世紀末に平原インディアンの間で広まったペヨーテ信仰(Peyotism)について考察した。同化政策が押し進められた1883年から1934年までの時期は、サンダンスなどの伝統儀式が禁止されたが、インディアンはキリスト教をそのまま受容するよりも、従来の信仰に重ね合せるかたちで採り入れ、新旧の要素が混ざり合ったペヨーテ信仰を発達させていった。これらは1910年代になると白人による弾圧の下、かえってインディアン・アイデンティティを支えていく核になっていく。 次年度は、さらに一次資料を中心とした分析を掘り下げ、アメリカ先住民のキリスト教受容とエスニック・アイデンティティとの関わりについて考察を進めたい。
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