近代の日本社会において、宗教にかかわる言説が、どのように形成されたのかを検討した。本研究でとくに着目したのは、明治25年、井上哲次郎が起こした「教育と宗教の衝突」事件である。彼によれば、キリスト教は日本社会の倫理観と抵触する内容を持っている。そのため排撃しなければならないという。それに対して、多くのキリスト者は異議を唱え、排撃の必要はないと応えた。彼らの反論の根拠は、キリスト教は決して日本社会の倫理観に抵触するものではなく、むしろそれを補助するものとすることにあった。 このような論争のなかで、北村透谷の『井上博士と基督教徒』は、政治と宗教の問題の本質をとらえ、キリスト教を近代的宗教として受容する限りは、世俗権力との関係性のなかでのみ認識せざるを得ないという見解を示した。本研究は、そのような透谷が提起した見方を詳細に検討したのである。
|