研究概要 |
この研究は,地方の人形浄瑠璃のかしらを資料として,人形浄瑠璃の発生と展開の問題を解き明かすことを目的としている。本年度も平成10年度に引き続き,地方の人形のかしらの調査を進め,資料を収集した。現在までに,70ケ所,約2000個のかしらを調査した。途中,新たな資料も見つかった。多くの資料を収集することで,いくつかの問題点が明確になりつつある。 まず,先に提示した三人遣いの発展過程における仮説がより確実ものとなってきたといえよう。かしらの分布状況を周圏論で解釈すると,現文楽の,引栓式といううなづきの機巧形式のかしらは新しく,小猿式といううなづきの機巧形式のかしらは前時代の操法と考えられ,従来地域差とされてきた機巧形式に時間差が考えられるという説である(平成11年3月『芸能』5号に発表)。小猿式は引栓式以前の長い間行われていたと考えられるが,愛知県南設楽郡鳳来町大室神社のかしら(平成10年11月『昭和女子大学文化史研究』2号に紹介)や岐阜県加茂郡七宗町葉津文楽のかしら(平成12年3月『民俗芸能研究』30号に紹介予定)等の資料によって,更に地方で小猿式が行われていた年代も,ある程度推定できつつある。また,一人遣いから三人遣いへ移行する過程も未だ明らかではないが,奈良県吉野郡大塔付の中峯人形はこの問題を考える上で参考になる資料であった(平成11年6月『昭和女子大学文化史研究』3号に発表)。また,この問題を解く鍵となるのが「エンバ式」というもう一つのうなづき形式であると思う。この形式はかつて古い江戸系かしらの特徴とされてきたが,私のこれまでの調査の結果,関東以外の山口・徳島・岐阜・長野等でも確認できた。今後は「エンバ式」を手がかりに一人遣いから三人遺いへの移行過程についても考えていきたい。
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