中国における「生活の芸術」論は1920年代に江紹原、周作人らによって提唱されたのが最初と考えられる。二人の議論はとも主に英語圏の議論に影響をうけたものであった。現在のところ、江紹原の方の影響関係というほどのものはつかめないが、周作人は英国の性学者であり批評家であったH・Ellisの強烈な影響を受けていたことが歴然としている。元来「生活の芸術」論は進化論以降の生物学的人生観を背景にもっているが、その点に注目すればそれは、周作人が晩年提唱する「倫理の自然化」というタームで言いかえることもできる。周作人の議論の特徴は、「生活の芸術」を中国に元来あった原始儒家の「礼」と重ね合わせたうえで「新しい自由と新しい節制による」中国の新文明の樹立を提唱したことである。周作人ど江紹原は雑誌「語絲」において「礼」をめぐって討論を交わしたが、彼等二人がやや原理的に「生活の芸術」論を考えていたのに対して、林語堂は、周作人が別に光を当てた明末清初の文人にその歴史的な具現を見出して、そこから様々な生活上の技術、智恵を具体的に掘り起こし、きわめて中国色の強いハウツー式「生活の芸術」論を展開した。周作人、江紹原と違って、老子・道家思想を重視するのも林語堂の特徴である。それがアメリカで熱狂的に迎えられた背景のひとつには、パールバックの「大地」の大ヒットをはじめとする30年代における中国ブームがあったと考えられる。 「生活の芸術」論と社会改革運動との関係だが、林語堂が「生活の芸術」論を展開するのは1920年代末の北伐時期における政治的挫折のあとであり、周作人の場合もそれは「新しき村」などの理想主義が決定的に幻滅してから後である。そうした現実の政治あるいは社会運動に挫折した知識人が当初の意図を捨てきれず、また実際行動にも戻れず着目したのが政治的枠組みをはずした「生活」なのではないかと現在のところ考えている。
|