本研究ではマンの晩年の二作品『フェーリックス・クルル』と『選ばれし人』を主たる対象として、そこに頻出する材源からの引用についてコンピュータ等を用いて実証的に検討し、テクストの中で彼の「創作」意識にとって本質的な相を解明すること、そしてこうした「創作」を行なう自己意識について、これまでより一層深く考察を進めることを目標とした。このうち今回研究を進める中で改めて特に注目されたのは『選ばれし人』に及ぼしたハルトマンの『グレコリウス』の影響の強さである。周知の「原作」としての意義や、中高ドイツ語形も含めた引用出典にとどまらず、トーマス・マンによる再話のその語りの姿勢全般に及ぶ模範像を提示していることが明らかになってきた。この点について「研究発表」に挙げた論文で概略次のように述べた。 救済的物語を語る語り手は必然的に自らの救済の願望を同時に語ってしまうが、現代ではその願望が忌避されるため物語を語る事自体が困難になっている。さらにトーマス・マンの場合虚構性を回避する本来的性向もある。しかしハルトマンにとっては宗教的背景もあって救済願望を語ることはむしろ当然であったし、その事がリアリティを持ってもいた。そこでトーマス・マンは物語を語る事を可能にするために、語るハルトマンと同格の人物を創出した。普通の意味で語る人と、その人格によって演じられる「物語の精神」という二面を兼ね備え、それに伴い二つの身体性ももつこの人物においては、演じる/演じられる身体が二重のままであり、その様子は西洋近代劇の俳優よりはむしろ日本の歌舞伎の俳優の存在様式に比較した方が理解されやすいようなものである。 ここでは紙幅の制約もありまだおよその見取り図を提示した段階なので、作品に即して構造を具体的に検証することとマンの創作態度の一層緻密な考究は今後の課題である。
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