本研究では、ソ連時代およびそれ以後の統計資料から旧共和国のジェンダーについて見てきたが、1917年の革命によってさまざまな生活分野において一定のソビエト化が行われたということが確認できる。しかし、1998年8月、9月のロシア、サンクトペテルブルグでのインタビューや統計などによると、次のような傾向を指摘することができる。 旧ソ連の女性の中で非ヨーロッパ地域の共和国では、統計などから判断すると、確かに一般に女性の就業率は高く、ソ連全体の平均とほぼ一致しているが、高学歴のスペシャリストを民族別にみると、ロシア人、タタール人、ウクライナ人などの比率が高く、現地の女性の占める割合は10%台である。これは、ロシア人入植者によってソ連化が推し進められたことの結果であろう。したがって、現地の女性の多くはソ連以前の伝統的な生活スタイルをある程度守っていたということもできる。一部の現地の女性は伝統の枠から抜け"ソ連女性"となっていたが、全体的な割合はそれほど高くない。また、ソ連邦崩壊後ロシア人のロシアへの帰還という傾向とともに現地の伝統・風習が強まってきていると考えられる。しかし、経済的に働くことを余儀なくされる状態にあることも否めない。よくソ連とロシア帝国が重なり合っていたと言われるが、これと同じ公式が女性にもあてはまり、ソ連女性とはすなわちロシア人女性のことであったのかというふうに考えることもできる。また、各共和国の文化的なファクターを考慮することなしにこれらの問題を考えることはできないが、筆者の分析からも大きな民族的・地域的な差異が存在することが検証された。
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