研究概要 |
民事責任と刑事責任の相互関係という問題は古くて新しいテーマである。今日でも判例の大勢は民法と刑法の機能的分業を前提としている(例えば、慰謝料の本質をめぐる京都地判H5,11,25判タ853,249)が、学説には、損害賠償の「行為統制」機能を強調する主張もあるし、刑事法で「被害者の再発見」に基ついて「損害回復」を重視する主張もみられる。法秩序の中での刑事法の位置づけは、時代の変遷に応じた問い直しを迫られている。本研究が着目したのは、過失相殺をなす場合(最判S63,4,21民集42,4,243)に論じられる「公平」観を刑法学はどう受け止めるべきかという問題である。民事賠償が顧慮するのは加害者/被害者の「公平」であるのに対し、刑事法の問題は加害者/潜在的加害者のそれだといえるか? 刑事法の判断はそこまで「行為者」の「責任」を志向すべきものであろうか? 過失相殺の背景に「所有者危険負担の原則」や「領域原理」を顧慮するのなら、それが刑法にどんな意味をもつか、被害者の「自己答責性」との関係が検討課題になるであろう。現段階では、「被害者の過失」の前提たる「事理弁識能力」が「答責性」の前提たる「自己決定能力」に、相殺を否定させる「加害者の故意」が折衷的相当因果関係説のいう「特別知識」に、また、その思考方法は承諾論での「相互関係モデル」に近いと推察できる。これらの議論のより厳密な対比を継続して行いたい。半面、保険制度や求償関係の考慮が刑事法上の判断に影響するかは疑わしいし、いわば統一的正犯概念に近い不法行為理論と異なり、刑事責任の特性は「正犯」限定に関わる諸原理にも由来している。被害者態度の因果的考慮だけでは、行為者態度と結果の「結びつき」は示せても、「可罰的内実」を示したことになるかが問題である。刑事責任の限界づけは、「行為者」だけでなく、「当事者」の「相互交渉」の特質を考慮しうる枠組みで具体化すべきだと思われる。
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