研究概要 |
筆者は,革新自治体期の開発規制政策を,同時期の公害規制政策との比較の視点にたって考察することを課題としてきた。公害規制政策の場合,独自の条例による「上乗せ」規制を認めさせ,政策体系を分権化することに成功したのに対して,開発規制の場合,要綱による窓口指導という「権限なき行政」で対応し,一定の成果をあげたものの,政策体系の分権化にまでは至らなかった。つまり,両者はその成功の度合を異にしたと考えられるわけであるが,これについて,筆者は,(1)公害規制と開発規制では国と自治体の政策蓄積の度合が違っていたこと,(2)政策分野の特質により世論の喚起やマスメディアを動員する能力が違うこと,(3)東京都などが主導した公害規制の場合と異なり,開発規制は主として郊外の中小都市の政策であったため,政策開発や法務能力に違いがあったことなどの仮説をもって,研究にあたってきた。 研究の結果,まず第一に,この問題についての実務担当者の認識が,研究者の認識と大きく異なっていることがわかった。担当者は,要綱行政を,条例制定ができない場合の「便法」という消極的な捉え方をしているわけでは必ずしもなく,また,要綱行政の効果についてもおおむね満足していることがうかがえた。また,これまで,1983年の建設事務次官通達「宅地開発指導要綱に関する措置方針」以降,指導要綱が「後退」したことがしばしば強調されてきたが,現実には,住民同意に関する規定を別とすれば,必ずしも後退したとは言い切れず,むしろ強化されている部分もあり,建設省のいう「行き過ぎた内容の指導要綱」は依然として少なからず存在している。さらに,各地で行政手続条例が施行された後も,要綱行政は十分に機能しているようである。 以上を踏まえた上で,90年代のまちづくり条例などの事例も視野に収めつつ,さらに研究を進めていきたい。
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