研究期間初年度ということで、スイスの銀行史・商業史についての文献を横断的にサーベイしたうえで、一次史料の収集にあたった。現在の時点では、既存の研究を概観した段階にとどまるが、ここで明らかとなった事項は以下の通りである。 スイスの商業的・金融的に重要な諸都市の中で、旧体制末期においてプライベートバンクの活発な活動がみられたのはジュネーブとバーゼルで、チューリヒでの活動はいまだ萌芽的であった。これらの商業・銀行活動の主体は、かなり明瞭にカルバン派としての特質を有していた。その活動はヨーロッパ各都市にまたがるが、中心はパリにおかれており、地元の信用市場とのつながりは比較的弱い。他方東スイスではザンクト・ガレンの金融活動が衰退期に入っていた。 19世紀初頭、スイスの金融活動の大半は、与信業務よりも受信業務に目的をおく貯蓄金庫によって担われていたが、その活動は隣接諸国からの影響を強くうけており、宗派的な特質はほとんどみられない。 1830年代からは、工業金融需要をうけて機関銀行設立機運が高まり、チューリヒ、ザンクト・ガレン、ベルンでこれが先行した。プライベートバンクは当初機関銀行と敵対的な立場に立っていたが、ジュネーブ、バーゼルでも1840年代には後者が自ら機関銀行の設立に乗り出した。したがってこの両都市においては、両銀行の間に系譜的連続性を確認できる。宗派的紐帯の機能の有無については、いまの段階では明らかではない。 クレディ・モビリエ型の事業銀行は、1852年鉄道法制定後の鉄道ブームに密接に関連している。19世紀前半までの一般的事業は、基本的に自己金融によっており、銀行による信用創造との関連は薄い。ただし、原棉調達での銀行業の機能は軽視されるべきではなく、チューリヒでは、原棉取り扱い倉庫業から機関銀行への発展がみられた。
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