研究概要 |
紀伊半島中央部の大峯酸性火成岩類近傍に分布する珪長質及び苦鉄質岩脈計6枚の産状・岩石記載・K-Ar年代測定を行った.調査した岩脈は1)奈良県川上村中奥,2)同吉野町樫尾,3)和歌山県花園村臼谷,4)同高野町相ノ浦,5)同中辺路町三越峠の5地域に分布する.これらは岩脈5を除き,大峯酸性岩類の北部を取り巻く地域に相当するが,必ずしも大峯酸性火成岩類から派生するような分布でない. 岩脈の走向は大峯酸性岩類の西側(3・4)で南北が多いが,北側(2)・東側(1)では基本的に東西である.東側では中央構造線近傍では東西性であるが,より南では南北となる.岩脈5の分布する地域は熊野酸性火成岩類の活動と関連があるとされるが,その走向は熊野酸性岩類から派生するように北百ー南東走向である. 岩脈の年代を偏光顕微鏡で検鏡後,鉱物分離法あるいは全岩法で依頼測定した結果,15.2±0.8Ma,14.5±0.7Ma(以上,1),11.0±0.8Ma(2),15.2±0.8Ma(3),14.6±1.0Ma(4),37.3±1.9Ma(5)の値が得られた.まず岩脈1・3・4は岩質に関わらずほぼ同じ年代であり,大峯酸性岩類と同年代である.この時代にはlの地域で同時代のtuffite岩脈が知られており13-16Maにこの地域で貫入大成活動があったものと思われるが,1の地域で行った岩脈マグマ流動方向の研究では概ね東から貫入してきたと推定できた.従って大峯酸性岩類を少なくとも1の地域では給源として考えにくい.次に,岩脈2は大峯酸性岩類より明らかに若い年代である.このことは,より若い時代の高見山酸性岩の形成も考えれば,熊野・大峯の形成以後に時間的に別の大成活動があった可能性がある.岩脈5は他の岩脈の時代と大きく異なるが,5の岩脈の母岩は始新統とされており,その時代に形成された鉱物を測定した可能性が高い.
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