(1)『トマス福音書』は、既存の(正典)共観福音書のイエス語録およびアグラファ(正典には載っていないイエスの言葉)を或るグノーシス的編集者が自由に編集して作成した文書である(原本は紀元2世紀後半、シリアにて)。この福音書中に、禅の公案書ないし禅語録に近似する発言が多発する。まず判明したことは、所収の発言のうちアグラファ出自と見られるものに、既に内容的に禅と共通する発言が存在することである。つまり、グノーシス主義と厳密に規定される以前の、イエスの言葉として伝承された初期キリスト教的発言の中に、すでに禅と共通する超越意識・人間意識が現出している。そこから、超越なるものとの隔絶にではなく、それとの本質的一体の認識に救済を見る見方は、グノーシス主義の本質的要素ではあるものの、それ自体は(アグラファの如く)グノーシス主義とは無関係に生起し、いわば普遍的宗教認識の-重要タイプ-禅はその典型の一つ-に属することが推察できた。 (2)他方グノーシス主義は、この可視的世界への全面的な否定ないし憎悪をもう一つの特色とする。この面は、必ずしもアグラファの中に強く表現されているわけではなく、また禅においては絶対に現れない。したがってこの点においては、『トマス福音書』と禅語録との共通性を見ることはむしろ出来なかった。 (3)『トマス福音書』が禅の公案書の如き、修行者に与えられ、体験的知恵でもって解決すべき問題集ではなかったかという説は、グノーシス主義者たちの修行形態が未だに明かではないので証明は出来なかった。しかし、それが可能な仮説の範疇に属するという確信を得た。 (4)以上の研究成果は、『グノーシス集成』第2巻(岩波書店2000年)中に、「禅とグノーシス主義」の題名で具体的に展開したい。
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