平成10年度は、自己犠牲をめぐる物語を取り上げて、その社会哲学的・宗教人類学的な分析をおこなった。取り上げたのは、エウリピデス「アウリスのイピゲネイア」、ティム・オブライエン「レイニー河で」、宮沢賢治「なめとこ山の熊」の三つの物語である。これらはともに自己犠牲の可能性をめぐる物語であり、それぞれギリシア悲劇、現代アメリカ短編小説、童話、という異なるジャンルに属している。これらを比較文化の観点から分析することによって、非近代・非キリスト教文明としての古代ギリシア、近代キリスト教文明としての現代アメリカ、人類の始原的想像力の発露としての童話的原型、という三つの典型における自己犠牲譚の意味を明らかにすることができた。 「アウリスのイピグネイア」においては、神的権力と群集の暴力とによってイピゲネイアが自己犠牲を“進んで選択せざるをえない"逆説的状況が形成され、それが儀式を通じて肯定されてゆく社会的な仕組みを取り出すことができる。「レイニー河で」においては、プロテスタンティズムの下では個人のあらゆる決意が神の前における絶対的選択として規範化されるため、“社会的権力への不本意な服従"としての自己犠牲が倫理的には存在不能となることが暗示されている。「なめとこ山の熊」においては、これをシベリアの狩猟儀礼の民族誌と重ねて読解することによって、動物殺害の禁忌とこの禁忌の解除のさまざまな儀礼から、生命の贈与と剥奪をめぐる始原の倫理的習俗が形成される経緯を読み取ることができる。 以上の研究成果は、「自己犠牲をめぐる三つめ物語-エウリピデス、ティム・オブライエン、宮沢賢治--」に発表された。
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