昨年度までの研究では、犯罪行為を中心に解釈を展開してきた古典派刑法学から、犯罪者を考察の中心に置く新たな刑法学が生まれはじめていることが明らかにされた。本年度は、前年度までの研究成果を踏まえたうえでさらに、タルド、サレイユらの法学的研究と精神医学者、人類学者の研究を検討することによって、様々な分野における実証主義的犯罪学研究の基本に、共通する理論的構造があることが明らかにされた。 19世紀末の犯罪学においては、その理論の基礎として「社会」が非常に大きな役割を果たしている。ここでは、単に犯罪の原因が社会環境に求められるだけではなく、そもそも犯罪とは何かということが、社会によって決定される。世紀末の犯罪学においては、これこそが犯罪であるという普遍的な犯罪の観念を考えることは困難であり、犯罪は社会に応じて相対的なものとなる。ここでは、犯罪の内在的な本質とは何かを明らかにしようとしたり、あるいはア・プリオリな道徳的な原理を想定してそこから犯罪とは何かということが演繹されるのではなく、「事実]から出発して、そこから犯罪と呼ばれる行為、犯罪と考えられる行為は何かを考えてゆく。そして、この「事実」は、犯罪者の頭蓋骨や脳について観察データやその他の身体的な観察データではなく、例えば、タルドの犯罪の定義では、「世論」が基礎とされ、ガロファロは「意識」を定義の基礎に据える。古典派的な刑法学が、法と犯罪と刑罰の三つを中心に構成されており、犯罪者については、ホモ・エコノミクスたる通常の人間と同じ理論的基盤の上で考察されたのに対し、世紀末の犯罪学では、新たに特殊犯罪者型の人間という形姿があらわれ、刑法理論は「犯罪者」と「社会」を二つの極に構成される。刑法もこの社会との関連の中で犯罪を定義し、犯罪者の性質を探り、その責任を見極めようとするのであり、社会法学的な刑法学がここに生まれてくるのである。
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