昨年度の「国土の縁辺的位置」としての沖縄・宮古・八重山のジェネラルサーヴェーを踏まえ、今年度は「移民の島(石垣島)」の、なかでも昭和期に入ってから、開墾・入植をみた蒿田、星野、米原の3集落を選び、それぞれの地籍の1筆毎の台帳地目、その所有関係の変遷把握、さらに当該集落の現住者ならびにこれら集落からの石垣島内転出者、とくに「古村」としての集落発生契機を有し、現在では中心市街地をなす新川・大川西地区への転出者について、彼らのライフサイクル・ライフコースの聴取調査を行った。なお、調査途上であるがおおよそ下記のようなことが明らかになってきた。まず、農業労働者として蒿田集落に定着した台湾系移民は漸次、自作農化し、故郷台湾ではどのような農業集落でも必ず行われている祭礼『土地公祭』を、地元住民の伝統的な祭礼の場である『御嶽』を借り受けて実施してきていることが確認された。旧暦の8月15日の祭日には、島内外から台湾系住民が参集し、恰も『廟』が存立しているかのような状況を呈していた。併行して実施した「外地引揚者や復員軍人からなる自由移民集落」の星野、ならびに「米軍の土地強制接収の結果、政府計画移民集落」となった米原では、前者は大宜味村の、後者は読谷村の出身者が殆どであったため、それぞれの集落で営まれる祭礼には沖縄本島の北部、あるいは中部の面影を強く残していることが判明した。つまり、人間生存の基礎的機能の発揚には、領域性があり、その領域の広狭性には、基礎的機能の性格の相異だけでなく、その展開する地理的位置と社会の性格にも影響されている。
|