研究課題
本研究は、日本の古代から中世への社会の変動における宗教、とくに鎌倉時代の仏教を研究対象としている。なかでも鎌倉初期以来仏教の新たな運動形態が成立してゆくとき、その指導者の中で真言律宗の宗祖である西大寺の叡尊の活動に着目した。叡尊においては、宗教活動と慈善活動が一体化され、新たな社会連携の構築を目指していたことが注目され、その核となったのが文殊信仰であった。加えて、朝廷・鎌倉幕府の指導者層との関係形成において、文殊信仰が果たした役割も重要であった。本研究は、宗教関係の文献にとどまらず、当時の貴族日記や鎌倉幕府関係などの史料を対象とすることにより、これらの活動について多面的な研究を行うことを目的として研究を進めた。また欧米においては未紹介の鎌倉時代の史料・文献の英訳等の海外発信も重要であり、中国における文殊信仰を日本の先行例として比較対照し、「文殊師利般涅槃経」の英訳を掲載したクインター助教授の"Visualizing the Manjusri Parinirvana Sutra as a Contemplation Sutra."などの成果を上げた。クインター助教授は、2011年6月台湾で開催された国際仏教学会大会において、"Localizing Strategies : Eison and the Shotoku Taishi Cult in Medieval Japan"と題する報告を行い、叡尊と太子講という新たな視点を展開した。また戒律研究の第一人者であるコロンビア大学のモルマン教授が開催する戒律研究会が学会に付随して開催されるよう日程変更されたため、計画完了日を11年6月末に変更して参加し、有益な情報交換を行うことができた。今後さらに多面的に叡尊あるいはその先行者の活動についての研究を進める予定である。
すべて 2011
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Asia Major, 3d series
巻: 23, part 2 ページ: 97-128