動物の脳が実現する機能の中で、餌や天敵の出現などといった「変化」を素早く検出する能力は重要な機能の1つである。外界の変化は脳内で神経スパイクの平均発生頻度(発火率)の変化として符号化、伝達されることが知られているが、脳がこの発火率の変化をどのような機構を用いて検出しているかは分かっていない。そこで私はまず、もっとも単純な脳内の変化検出機構として、脳内情報処理の最小素子である単一の神経細胞を想定し、神経細胞の検出装置としての性能を理論的に考察することを着想した。 我々はまず、神経細胞の入出力モデルとして標準的なleaky integrate-and-fire(LIF)モデルを採用した。変化を伴った入力信号を受けるLIFモデルが、スパイクと呼ばれる鋭い波形の電気パルスを出力する瞬間を変化の検出と考える。このモデルには膜時定数、発火閾値という2つの神経パラメータが存在するため、LIFモデルの変化検出装置としての性能を評価するためにはそのパラメータを検出に最適な値に設定しなければならない。我々は標準的な性能評価指標のもと、確率微分方程式の理論を駆使して、最適なパラメータを高速に探索できる数学的アルゴリズムを開発した。このアルゴリズムを用いて神経細胞モデルの検出装置としての性能を解析したところ、統計学的に最適な検出方法と同程度の性能を実現できることが明らかとなった。また、発火率に雑音が混じる、或は発火率が複数回変化する、というような、より現実に近い設定での検出性能を解析したところ、神経細胞モデルは統計学的に最適な検出法より頑強に機能し、多くの状況で統計学的手法より高い性能を誇ることが明らかとなった。さらに我々は、検出性能を最大化するモデルパラメータ値が、現実に脳内の神経細胞が有する値に極めて近いことを示した。以上により、我々は個々の神経細胞は単体で優れた変化検出装置として脳内で機能できることを証明した。この成果により、脳内の変化検出機構が少数の細胞で実現できることが理論的に保証されたことになる。
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