当該年度を通して、人口集団における感染症の流行の動態を巨視的な立場から数理モデル化した各種連立微分方程式の数学的な性質の解析に研究の焦点を当てた。対象としたモデルは多状態感染症モデルと呼ばれる、集団に属する各個人の年齢や居住地域の別といった状態の異質性をより現実に即した形で考慮出来るが、その構造の複雑さから数学的に未解決な問題が多く残されているものであった。 具体的な感染症としてはインフルエンザを想定し、大まかに分類して二種類の多状態感染症モデルの研究を行った。 一つ目は、年齢構造化SIR感染症モデルと呼ばれるもので、各個人の年齢という状態の異質性がインフルエンザ等の感染症の周期的な流行を導く要因であるのかという点が長い間議論なされてきたものであった。研究代表者は、その様な周期的な流行の機構を説明しうる周期解の存在に対する一つの否定的な結果として、感染症が蔓延する十分条件が満たされる下では、感染症が集団に定着する状況を意味するエンデミックな平衡解と呼ばれる非自明平衡解が大域的に漸近安定となり得ること、すなわち初期感染者が存在すればその数にかかわらず感染者数は最終的に一定の値に収束し、周期的な振動は起こらないという状況があり得ることを新たに証明した。 二つ目は、インフルエンザの世界規模の全地域的な流行挙動を想定した多状態SIR感染症モデルであった。研究代表者は、基本再生産数と呼ばれる疫学的指標が1を超えることが、そのモデルのエンデミックな平衡解が大域的に漸近安定となる為の必要十分条件であることを新たに証明した。この結果は、交通機関が十分に発達し、世界中の各地域の間に感染の経路が満遍なく存在している現代社会において、ある一つの地域で発現したインフルエンザは将来的に全地域に満遍なく流行し定着し得る、という疫学的解釈の与えられるものであった。
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