今年度は、戦後のキリスト教に重点を置き、社会・日本に対して自己閉塞的なものとしてのキリスト教の実践的課題を接点におくことで、社会運動や実践的運動としてのキリスト教と、イエスの表象や聖書の読みという課題を結びつけながら、"日本のキリスト教"について考えようとした。そのために、接点としてまず終戦直後のキリスト教ブーム、そして60~70年代のキリスト教内で起こった反権力闘争に焦点を当てた。 1948年ごろから数年間、占領政策などを契機にキリスト教ブームが起こった時、キリスト教の人びとはキリスト教を日本再建のための精神的な解決として提示したが、金銭問題をはらむ実際的な問題の前にキリスト教の無力さを露呈しただけであった。その"伝道の失敗"から語られたことは、キリスト教と対峙する存在としての"日本"であり、それによって日本という存在を相対化するかたちでキリスト教が形成されていくことになる。 そして、60年代後半から70年代においては、教会派と社会派の別など日本基督教団内において生じた様々な社会的問題とともに、世界的にも20世紀神学の転換点があった。それは、これまでの白人・男性・知的専門家によるパラダイムからの転換であり、抑圧からの解放という実践的課題をもつ周縁者集団にこそイエスの福音を知る優位点があるのだとするものであった。日本においては、今日も周縁者集団の中にイエスを見出していくような聖書の読みが見られる。そこでは、社会・日本とキリスト教の別は見出されない。そのようなイエスの表象が、キリスト教と日本をつなぐものとしての神学方法だといえる。
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