本研究はベルクソン美学を「共感(sympathie)」の観点から読解することを目的としています。ベルクソンの共感概念を検討するにあたって最も問題となるのは、最後の主著『道徳と宗教の二源泉』(以下DSと略記)における共感の位置づけでしょう。DS以前の著作では、共感を積極的に使用してきたベルクソンですが、この著作では、共感という言葉を慎重に避け、使用するとしても否定的な意味で用いられるからです。 初年度は予備考察としてDSにおける共感概念の分析を進めました。DSで共感が意味するのは、閉じた社会を構成する原理であり、家族や社会、あるいは国家という、情動的紐帯によって共同性を構成する人間本性、すなわち「政治的動物」の本性です。DSにおいて共感という概念の位置づけが変化したのは、ベルクソンが情動的紐帯による共同性が持つ政治性に、批判的眼差しを向け始めたからに他なりません。以前の著作では芸術経験を説明し、ひいては哲学的原理として積極的に使用されていたこの概念が、DSにおいて一挙に政治的色彩を帯びたのです。 とはいえ、ベルクソンが閉じた人間本性の対極に位置づけた神秘家の魂を共感の語を用いて肯定的に定義するとき、以前の著作における共感概念の積極的意味合いの残存が確認できるのであり、DSにおける共感の地位はきわめて混乱したものになります。 共感概念の政治性と矛盾した使用について考察した初年度の研究成果は、2010年10月の美学会全国大会での発表にまとめました。この発表では、まず神秘主義(積極的な意味での共感を担保する)と民衆(否定的な意味での共感を担保する)のあいだにベルクソンが見てとった政治的問題を確認し、DSにおける共感概念の両義性を指摘したうえで、この差異が情動の高さに基づいていることを示しました。また、年度末にはフランスの関係機関で本研究に関する資料収集を行いました。
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